労働というのは、基本的に『誰もやらないことをやること』に意義を見出して、それを成すことで対価を得るものだと思ってる。
誰も汚れ仕事なんかしたくない。でも世間には必要だから誰かがそれを請け負う。その仕事に対して対価が支払われる。
でも、『誰もやりたくないこと』が『自分のやりたいこと』であった場合、それはとても幸せな労働環境だと思う。
また、『誰もやりたくないこと』ではなく、『極限られた人間にしか出来ないこと』に対しても対価は支払われる。
芸術面なんかはそうだよね。
今回はそんな記事。
もう多分、年単位で久々なんだけども。
最近、自分のやりたいことで対価を得られることがあった。
俺は趣味として幾つかたしなんでいるモノがあるんだけど、そのうちの一つが対価を生んだんだよね。
正直な話、俺は自己評価はとてつもなく低いので、自分の趣味で生まれた何かに対して価値が生まれるとは一個も思ってないの。
趣味の分野で誰かに認められることなんか、そうそうあり得ないと思ってるからね。
誰にも認められないものは、きっと対価を生むほどの価値もない、と。
それが今回、ちょっと試し、と思って値段をつけて売ってみたわけ。
そしたら、案外と目標を達成しまして。
無事に望んだ額の対価を得られるらしい。振込とかは来月だか再来月だかになるらしいけども。
これがとても嬉しくてね。
数年前には『自分のやりたいこと』でお金を得ていた時期もあったんだけど、それはまぁ、発注が大前提としてあっての『自分のやりたいこと』であって、一から十まで全部俺の趣味ってわけじゃなかった。
それはそれで興味深い案件ではあったし、勉強にもなったと思ってるから、別にいいというか、むしろスゲェありがたい事なんだけども。
今回は徹頭徹尾、俺の趣味全開のモノにお金が発生しまして。
自己評価激低の俺としては申し訳なさも多量に含みつつも、嬉しさと感謝でいっぱいになる。
ありがてぇ、ありがてぇ……。
このブログはdisを目的としたブログではあるけど、たまにはこんな記事も良いでしょ。