雑記

今期のアニメも最終回を終えたり、今まさに終わりゆくものがあったりと、かなり終盤であるわけだけども。

今期のアニメ群の中で、とりわけ俺の心に響いたのは『異世界チート魔術師』というヤツ。

あれが『どれだけクソか』という点ではなく、『どれだけいつものなろう系チートストーリーであるか』という観点で見れば、続く世代に対して良い判断材料だと思った。

何せ、このお話の主人公、早々に『チート』であると言われるし、自身も確認するにもかかわらず、相当弱い。

いや、弱いというより自身の内に眠る力の使い方を知らず、上手い運用が出来ていないという感じなのだろう。

それを作中でイベントを乗り越えつつジワジワと成長していく様、というのが他のチートものとの線引きなのだろうが……果たしてそれは正解なのだろうか、と問われたら、俺は間違いなく否と答える。

 

チートものを見た人間がよく言う批判として『いきなりチートであると面白くない』とか、『チートになるまでの道筋があった方がカタルシスを得られる』といった、いわゆる成長要素が足りないことをあげつらうことがあるのだが、それは『チートもの』を摂取するにあたって、正しい心構えであろうか?

それは最早、チートものを批判したいがために定型句を張り付けているだけではなかろうか?

昨今、なろう系のお話は様々な理由によって、幾つもメディア展開されている。

なろうというweb媒体だけでなく、文庫本として、コミックスとして、そしてアニメとして、いろんな人間の目に触れやすいようになってきている。

それだけにチートものに触れる人間の数もかなり膨れ上がってきている。アニメともなればweb媒体とは比べ物にならないぐらいに、いろいろなタイプの人間がそのお話を目にすることになる。

それらが出始めた当初こそ『主人公がいきなり最強ではつまらない』という批判も通っただろうが、今となってはもうそれは通用しないと思う。

何故なら『チートものを好む人間が見るコンテンツ』が『チートもの』であるからだ。

すなわち、チートものが嫌いな人間は、最初から客として見られていないのである。

批判だけしたい人間は、漫画の一ページを切り抜いたり、アニメを試しに一話だけ見たりした後、掲示板なりツイッターなりにお決まりの批判文を張り付けて、あとはポイだろう。

俺みたいに熱心にdisりたくてアニメ等を最後まで視聴したりする人間は、たぶん稀だと思う。

リトライ太郎なんかはクソだクソだと笑いながら最終話まで視聴したぐらいである。

それはそれでなろう系チートものの楽しみ方の一つだとすら思ってる。

そう、適当に紋切り型の批判したいだけの人間は客ではない。

『チートもの』の客は『チートもの』を摂取したい人間だけになっているわけだ。

であるとするならば、チートものを楽しみたい人間がチートものを見て、チートものを期待するのは当然なわけである。

そこで差し出されたのが異世界チート魔術師であったなら、どう思うだろうか?

 

正直な話をすると、俺は異世界チート魔術師を視聴するのを途中で諦めてしまった。

主人公が『召喚術師』として覚醒というか、精霊と契約をしたところあたりだろうか。

アナスタシアとかいう女性が死亡したところあたりである。

そこに至るまででも、充分に『切る』と判断できるところなんかいくらでもあった。

リトライ太郎のように突き抜けておらず、さらに言えば上述の通り主人公がいまいちチートらしからぬ立ち振る舞いをしているのだ。

普通のチートものならば、主人公やヒロイン、もしくは彼らが拠点とする町に脅威がやってきたとなれば、主人公のチートパワーで敵を鎧袖一触に蹴散らしてしまうものだろう。

だが異世界チート魔術師では割と主人公が苦戦し、ボロボロになった後に何らかのきっかけでチートが発動し、窮地を乗り切る。

少しずつ身の内に眠るチート級の魔力を引き出し、扱い方を覚えているのだと思うのだが、これが歯がゆい。というよりイラつく。

いや、普通ならばピンチを乗り越える話などは王道というよりは、お話づくりの基礎の基礎である。それを蔑ろにしていいわけもない。

だがこれは『異世界チート魔術師』というタイトルである。

この数年でタイトルに『チート』を掲げて、チートものを期待しない人間がどこにいようか。

さらに重ねて言うが、お話の序盤に主人公はチートであると言われ、自身もチートであると自覚している。

であるならば、ここはチートものの作法に則るべきなのだ。

だが、それは成されなかった。

俺がそのイラつきを爆発させたのが、件のアナスタシアという女性が死亡したところあたりである。

 

アナスタシアという女性の件は、登場から退場まで作者都合が見え透いていたように思える。

旧い言い方をすれば『イヤボーン』に近い展開をさせるためのスイッチにすら見えるのだ。

アナスタシアは最初、主人公とヒロインに襲い掛かり、その命を狙った暗殺者であったのだが、紆余曲折あって主人公側に与し、主人公と行動を共にし、町の地下に存在していた魔物の群れを退けたりしている。

この間、主人公にやたらと近づき、べたべたし、着実にフラグを立てる。

メインヒロインもいるはずなのだが、なんなら彼女よりもヒロインムーヴしていたのでは? と思ってしまうぐらいだ。

そして心を近づけた主人公とアナスタシアであったのだが、中盤のイベントで彼女は死亡する。

大筋で見れば、まぁよくあるよね、という感じ。

イヤボーン要員だったとしても、運用によってはそれはそれとしてアリだと、俺は思う。

ただ、これはアニメが悪い可能性もあるのだが、登場から退場まですべてが雑。

なんか急に襲い掛かってきて、かと思ったら町娘風になって再登場し、やたら主人公にベタつき、主人公が彼女に対して適当に『お前を守る』的なこと言ったりして、最終的に雑に死ぬ。

ここまでの時間が嫌に短い。作中時間でもそれほど経過してないような表現だった記憶がある。あんま覚えてない、ごめん。

そして彼女が死んだ結果、主人公が精霊と契約し、敵のボスを倒す。

この流れが本当に雑。というより、ワンクールのアニメではアナスタシアに対してそこまで心を寄せられない。

これがもし、もっと長い時間をかけて丁寧に主人公とのフラグを築き、視聴者もある程度感情移入が出来る状態で上記の流れとなったのなら、また話は違っただろう。

もしくは別の人間がその役を担えば――例えばメインヒロインないしはアニメの最序盤から登場していたエルフの娘がその役を担っていたなら、まだわからんでもないと思う。お話の流れは大分変わるけど。

でもそうはならなかった。

アニメの絵面的にはスゲェ悲壮な感じのシーンなのに、気持ちが全然そっちに行かない。

結果としてイヤボーンスイッチとして機能しただけになってる感があって、これは制作側の都合が強行したのだろうな、と思ってしまった。

これを説明して何が言いたいかというと、主人公が全然チートじゃないということである。

もし主人公がチートであったならば、アナスタシアが死ぬことはなく、敵もなんやかんやで倒せていただろう。

 

例えば賢者の孫。

あれは終始、主人公がチートとして扱われ、多少の怪我を負ったりしたとしても、主人公は敵を圧倒する力でもって勝利している。

そこには周りからチートだと持て囃されるだけの結果があった。

例えば魔法科高校の劣等生

作中でチートとは言われないながら、お兄様とかどうやって苦戦するの? ってレベルで強かった。

なろう系が流行り始めた初期の作品ながら、チート力は群を抜いている。

それと比べて、異世界チート魔術師はどうだろう?

俺が見た限り、異世界チート魔術師の主人公には『チート』と呼ばれるだけの実績がなかった。

確かに敵を撃退し、窮地を救っている。だが、それではチートと呼ぶに相応しくない。

それは単にちょっと強いだけの人間だった。

作中で『一個の国を亡ぼすことも可能である』と言わしめただけの力を、彼は発揮できていなかったのである。

それは恐らく、このお話の作者がチートものに対する批判を目にし、それを克服したお話を作ってやろうと思ったからではなかろうか。

即ち、『最初から最強なのは面白くない』『チートになるまでの道筋があった方がカタルシスを得られる』という奴である。

この批判点を克服したならば、次世代のチートものが出来上がるのではないか、と思ったのだと想像してしまう。

だが間違えないでほしい。その批判は客ではない人間から投げられたものなのだ。

ラーメン屋に入った人間から『これはうどんではない』と批判をぶつけられて、店主はうどんに似たラーメンを作り、それが果たして良いものになろうか?

もしかしたら何かしらのブームを引き起こす可能性もあろうが、おおよそは失敗に終わってしまうだろう。

作者はその点を間違ってしまったのだと思う。

もしくは作者も嫌々ながらチートものを書いていたのではないか?

最近チートものが流行っているから、それを書けば当たる、と思ったか、もしくは編集者に言われたか。

なんにせよ、自分の本当に作りたいお話を捻じ曲げてチートものを書きだし、それでも『チートもの』というカテゴリに屈するのが嫌で、自尊心が叫びを上げ、自分本来のお話を書こうと欲を出した結果、中途半端な出来になったのではなかろうか?

どちらにせよ、作者は間違ったのである。

もし仮に『異世界チート魔術師』という看板を下ろせないのであれば、ちゃんと『チートもの』を書くべきだったのだ。その看板に寄って来た客はそれを待っているわけだから。

逆にチートものでなく、主人公が成長し果てはチートに相応しい実力を身に着けるのならばタイトルを変えるべきだったのである。

看板にチートを掲げるのならば、チートを書かねばウソになる。

であるならば最初に掲げた『どれだけいつものチートものであるか』というベクトルでこの作品をはかった場合、とんでもなく的外れであると評さざるを得ない。

この異世界チート魔術師という作品は、俺にそんな感想を抱かせた。

 

と、これまで長々と書いてきたけど、これは俺個人の感想なんよな。

大げさに『客』とか言ってるけど、異世界チート魔術師というアニメを見た人間すべてが同じ感想を抱くわけもなし。

もしかしたら、俺の感想とは全く逆で、世間様ではめっちゃ囃し立てられてるかもしれんしね。そこまで情報集めてないからわからん。

なんにせよ、俺という客にはそういうお話、というか作者のスタンスに見えましたとさって話。

最早チートものだって一個のカテゴリなんだから、その作法に則った書き方をしなければ。

それに反するのならば、邪道でも観衆を黙らせるだけの力を身につけねばならん。

そんな感じ。