雑記

対人関係において、その人の芸風というのは重要だ。

こういう口調のヤツ、こういうギャグセンスのヤツ、こういう話題に強いヤツ、などなど、いろんな芸風のある中、自分と合う、そして自分を許容してくれる人間と付き合うのが一番幸せなんだと思う。

ただ昨今、SNS等で見ず知らずの人間の芸風を目の当たりにすることはよくある。

ツイッタで言えばリツイート機能がそれを象徴する機能だろう。

これはツイッタの開発者も『RT機能の実装は間違いだったかも知らん』というぐらいに、かなり強い能力だと思う。

RTをする側が恣意的にRTされる側の印象にバイアスをかけることが出来たりするし、そうでなくともRTされる側の芸風が合わない人間のTLにそれが流れて来たなら、突発的に気分を害する羽目になる。

 

何が言いたいかというと、俺の気にくわないRTが流れてきたって話なんだけど。

ただこれは一概に『俺は悪くないよね。悪いのはお前だよね』って話じゃないんだよな。

ことは二次創作なわけよ。

とあるコンテンツの人物が五人いたとしよう。

そのうちの一人が暴虐の限りを尽くし、その他四人を全て殺害した絵があったとする。

これって、どうだと思う?

俺は当然、『なんやコイツ……誰に対するリスペクトも感じられないわ』と思ったわけよ。

二次創作なんて創作元にリスペクトありきで許されている創作活動なんだから、相手に対する敬意というのは常に持たなければいけないと思うの。

だからこそ、その絵を見た時に俺は普通に引いたんだけどさ。

でもそれは一面でしかなくてさ。

『それってその人の芸風なんスよ』って言われたら、俺ならちょっと納得しちゃう面があって。

前述のとおり、創作元にリスペクトはあるべきだし、その絵からは敬意なんて微塵も感じられなかった。

創作者のエゴの塊でしかなかった。

……ただ、そう見えたのは俺だけ、もしくはマイノリティの意見なのかもしれない。

いやさマイノリティではなかったとしても、その絵から確かなリスペクトを感じている人間は複数人存在しているのかもしれない。

だとしたならば、リスペクトを感じられなかった側としては、ワンチャン『アンテナが低いだけ』の可能性がある。

 

創作ってのはある程度自由度があってしかるべきだと思う。

ちょっと昔の話だけど、某同人サークルがあって日常ゆるふわ萌えアニメを題材にキツイ描写を加えて漫画にしたりしてたところなんだけど、それは一定数受け入れられていたの。

漫画の内容では創作元の登場人物が結構ひどい目にあってたりするけど、それはそういう表現方法である、と言われれば、俺は『そうかもな』って思うわけ。

好きか嫌いかは別にして、たぶん、そのサークルも創作元にリスペクトはあったと思うの。たぶん。確かめてないからわかんないし、有識者に聞けば『それは違うよ!』って言われるかもしれないけどさ。

そんなんそのサークルの人にしかわからんわけで、第三者の意見はちょっと信憑性に欠けるかもねって感じ。

ただ俺は、その同人サークルには多少なりとリスペクトがあったと思っているの。嫌いだけど。

 

だとしたなら、今回RTされた絵はどうなのかって話よ。

俺にはリスペクトの欠片も感じられなかったのだが、某同人サークルと比較してみるとどうだろう?

それがそいつの芸風だから。そう言われてしまえば、そうなのかもなと思ってしまう。

今回、俺がリスペクトを感じられなかったのは、某同人サークルに対して『愛がない』と評を下した人間とどう違うのだろうか。

俺はどちらかというと、表現の幅は広い方がいいと思うし、いろんな面が見られる二次創作というのは自由を保障されていいと思っている。ただし、そこにリスペクトを含めば、の話。

好きだからいじめちゃう、の延長線上に、好きな作品だから血みどろにしちゃう、っていう歪んだ愛を含んでいてもいいのではないかな、とは思う。

だからこそ、その絵も、その絵を描いた人間も許容するべきなんだよなぁ。

 

ってことを、文章を書きながら考えましたとさ。

ちゃんと思考するのに、文章をまとめながら、ってのは結構便利よ。

自分の思考のラインが可視化、明文化されてごちゃつく思考を整理出来るし。

ただ、俺は件の絵も絵描きも大嫌いになったけどね。